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NO.47 ナンパの善悪について考える。

何気ない時にふと綺麗な女性にすれ違った時に僕はよくナンパについて考える。
昨日も仕事中すれ違った子に一瞬意識を奪われた笑



今回はナンパの善悪について自分なりの考えを書いてみる。(というかそれ以前に記事自体久々である、、、笑)
Twitterを見ていると、ナンパの善悪について議論が延々になされているようだ。
人には色んな考え方があり、行動力も人によって大きく違う。
声に出す言葉が実は本人の本音でなかったりも多々あるし、まだ考えが熟成していないだけということもある。
一つの意見には賛成派も否定派も存在するのが本来は当然のことで、特にこのケースはお互いがお互いに相容れない価値観を前提に話しているので結論は出ないものなんだろうけど。
一般的にはナンパ師はナンパを善と捉え、ナンパをしない多くの人は悪と捉える。
実際はそんな単純なものではなく、ナンパしている本人でさえも悪・反社会的行為と捉えている人も実は少なくない。
今回はナンパ師は何かしらの価値を感じてナンパしているわけなので、それを"善と捉える"に置き換えることにする。


例えば、「ナンパは悪」という価値観が世の中の風潮ではあるのは間違いない。
しかし僕個人的な経験でナンパを通して彼女達を傷つけてきただろうか?
少なくとも僕とセックスまでした女性は笑っていて、嫌々行為に応じる場に出会ったことはない。
行為後に飲み友達になるケースも多く、ナンパは悪の行為という印象を持たれた経験は実際感じたことはない。

一体なぜ悪のイメージがあるのだろうか?
確かにナンパ師のブログやTwitterの中身を見ると、ナンパは女性側から見ると負のイメージが付きまとうのは間違いない。
男性目線で書かれたものは男性を喜ばすが、女性側から見ると汚らわしく映るのだと思う。
多分ナンパを別の側面から-例えば美化して女性に伝えても-大半は理解し難いだろうし、理解されようと思うこと自体が間違いなんじゃないかな。もちろんそれは一定数の男性にも否定派は存在するが、男性と女性の否定の理由の本質は違うんだろうなと推測する。男性は僻みとか色々あるんでしょ、知らんけど。

ナンパに限らず何でもだけど、世の中の評価はそれが真実かどうか関係なく多数派の意見や価値観、もしくは主観を正とする傾向があるのは間違いない。
個人的には正とか悪とか決めれないものの結論はこの際どうでもいいが、多くの場合人は自分の頭で考えて結論を出すことを放棄する。”世の中の考えや評価=常識=自分の考え”とするのは本当に危険なことだなと思う。
先入観は脳のショートカットであり便利だが時として真実を見えなくする事もあるんだ。
ナンパする人もしない人も自分がなぜそう思うのか?って事を他人の意見でなくて自分の頭で考えてみてもいいんじゃかいかな。そしたらスタンス・向き合い方が少しは変化してくるんじゃないかなと。


ではナンパでセックスしちゃった女性目線で考えてみる。
実際は多くの女性は目の前の男性に何かしらの価値やメリットを感じたからこそ体を許しセックスしている(と思う)。
本来はこの時点でお互いに納得度は近いものだと考えられた。しかし男性の欲は性欲だけに留まらなかった。今どきのナンパ師は即報と呼ばれるものを読者やフォロワーに対して発信する。その発信は男性をすごく喜ばせ、また気持ちを鼓舞する。
また発信の質や量のレベルが高い人はその見返りに「凄腕」という架空の称号を得て、承認欲求を満たし悦になる。
これが多くのナンパ師の一連の流れでもありジレンマでもある。
もちろん個人によって目的は違えが、ナンパしている理由となる本来の目的を忘れ、 即報をしたいが為に結果を出すこと。
つまり目線が自分自身や同志・仲間に向いており女性に向かなくなる傾向がある。勿論表面上は女性を向いてるんだけど、本質的には向いてない。
仮にそれを即られた女性本人が即報を見ているとしたらとても悲しむに違いないよね。
やたらナンパを叩く女性は過去にそういう類の嫌な目にあった人も多いんだろうなと。
(僕も以前よく写真付き即報をツイートしていたが、承認欲求とメモ的要素が強かった。ちなみに女性が特定されることがないよう、万が一本人が見ても絶対分からないように服装とか特徴は必ず消すようにしていた。)


ここで改めてナンパ善悪について考える。
僕はナンパ自体に悪はないと思う。
綺麗な女性とたまたますれ違い、新たに関係を作り出すということ自体には悪はない。
同じコミュニティに属してないと声かけてはいけないのか?
コンパでたまたま会った女性でないと声かけてはいけないのか?
その価値観が正であるとすれば僕は理解出来ない。
これまで全く違うコミュニティであればどちらかが動かなければ永遠に繋がることはない。ナンパという行為はそういった奇跡的な出会いを手助けする行為とも言えなくもない。
うーん、だいぶクサくなってきた(笑)


きっかけは行動する人が作り出すが、最終的に受け入れるかどうかは相手に選択権がある。そういう意味ではナンパという行為は決して一方的で傲慢な行為ではない。
確かに知らない人に声かけて(迷惑かけて)はいけないというのは一般的な常識だと思うし、また”知らない人=恐い”という本能的な刷り込みがあるから、知らない人に声かけることから始まるナンパは非常識な行為とのイメージなんだと思う。


またナンパで出会って捨てられた経験があるからナンパは嫌いという人もいるけど、出会いの入口がなんであろうと、長期的な関係が続くかどうかは本人の中身や質による部分が大きくて出会いの入口は正直あまり関係ないんじゃないかと思う。
何度も会えないのであれば、そこには捨てられたと考えている自分自身にこそ理由はあって然るべき。


そしてナンパは女遊びという側面もある。
確かに女遊びはゲーム性が高く男の幼稚な心と体を簡単につき動かす。
しかしナンパの成立とはお互いの納得されたものであり、特にセックスの成立までにはいくつもの高いハードルを超えて辿り着くもの。その攻略の為に相手への価値の提供が必須であり、決して楽して出来る遊びではなく努力の積み重ねが重要な真剣勝負なんだよね。もちろん女遊びを理解してよなんて言わないが、努力もせずに「出会いがない」と言っているツワモノより微笑ましく応援したくなるんじゃないかな。(笑)
個人的に思うんだけど、真剣に出会いを探せば将来の結婚相手や運命的な出会いが見つかるわけじゃないんだよね。
また女遊びの過程で好きな人が出来ないというのも間違い。
結局そういう枠に囚われず、入口を制限せず、一定の考えに固執せず、しかるべき行動を取っている時にこそ運命的な出会いは訪れるものだと思う。そう突然。
ちなみに運命の出会いとはこれまでの自分の優先順位をガラッと変えさせてくれるような出会いだと勝手に考えている。(笑)


ナンパは善にも悪にもなりうる。時に人を喜ばすし、時に人を傷つけるもの。受け手の感情は受け手本人が選択したものである。
しかしナンパする側は相手が喜ぶようなものになるような、つまりWIN-WIN関係が成り立つ構図にする努力は最低限やってもらいたい。その為の技術であれば歓迎だし自分が出来る限りのことはやって、あとは相手に委ねるようなそんなスタンス。
例えば自分が”色”と思っていなくても相手は魅了されるかもしれない。相手の感情までは100%コントロール出来るはずがないから、自分が出来ることをやる。大前提として相手に悪意を持って騙すようなことは絶対してはいけない。
僕はナンパは素敵なモノなんて言わないし、やり手がどんな夢物語を語っても受け手の評価がこの場合は注目されるので、結論はガラリと変わる。いい噂は広がらないけど、悪い噂ほど広がるものだしね。
だからこそナンパをたしなむ者であるなら相手を喜ばす努力(善としての最低条件)、そして一定のルールやマナー、倫理観を持つことが大事なんだと考えている。




それでも、何気ない時にふと綺麗な女性にすれ違った時にお近づきになりたいと思う自分の欲(下心)には正直に応えてあげたいけどね(笑)



※書き終わってザッと読んだら凄くまとまりがない文章だなと思いました。
ここまで読んで下さってありがとうございます。






テーマ : ナンパ
ジャンル : アダルト

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プロフィール

かすてーら

Author:かすてーら
アラサーのかすてーらです

牡蠣の街→味噌の街へ拠点変更!

2014年はストリートナンパ中心、2015年は女の子の声は聞かず、クラブで音楽ばかり聴いてますw

絶賛細々活動中!(いや自粛中かw)


気軽に絡んでください(*´∇`)ノ ヨロシク~

Twitter→@castella_nampa
プリーズフォローミー!

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